ひなぎく心理ルームでは臨床心理学の立場から、いろいろな心の「悩み」や「葛藤」、「違和感」などに対してお話を充分にお聴きし、共に見つめ、整理しながらカウンセリングを進めていきます。
なかったことに・・・。
 ご無沙汰しております。

皆様は3連休いかがお過ごしでしたでしょうか?
15日(日)京都では局地的(数ヶ所、範囲は狭く強烈な)な大雨で、浸水や土砂災害が起こりました。

この日、所用で丹波篠山の叔母宅に向かう道中の京都縦貫道、篠〜亀岡間が土砂災害で通行止めとなり、スムーズにいけば自宅から2時間で到着するところ6時間半かかるという状況でした。
しかし、不思議なほど、イライラせずそれはそれで休日でした。


昨日16日は、大阪まで勉強会に行ってきました。
朝出る前にお気に入りの洋服をドアノブに引っかけてしまい、それも1度ならづ2度までも、その結果、袖口の(といっても手を広げれば逆三角形のような作りの洋服なので脇の15冂下あたり)糸が切れ、2センチ程のほつれができてしまいました。

大層ショックを受け、自力で何とか…と一瞬思った私でしたが、きれいにほつれてはいるものの、素人がつくろえるようなものではないことが素人でもわかり、あきらめて違うものを着ていきました。

いくらかかっても直してもらおう・・・と、気持ちを切り替えて勉強会へ。
学び多い勉強会に大満足し、帰路へ。

自宅近くのスーパーの中に、洋服の直しをしてくれるところがあり、早速、問い合わせて、もっていくことにしました。

 「これです。うまく治せそうですか・・・」

 「はぁー、そうですね。大丈夫だと思いますよ」

 
 「あ〜よかった。よろしくお願いします」


 「はい。ところで直し方ですが、こうやって、この傷を・・・」 と、袖口の幅がある程度あることを見越してか、折りたたむようにようにしてそのほつれを隠しておっしゃいます。



「 こうやって、なかったことにしてもいいですし 」  と。

私は半ばあわてて答えます。


「 いやいや、なかったことにはしないでください。ここを縫ってください。」 と。
     私の心はこの時点で、面白くて内心笑っていました。


とってもとっても感の鋭い方は、お分かりになる方もおられるかもしれませんね。


続けて店員さん
「 でも、少しは縫った跡が近くで見ればわかりますよ 」 と。


「 それでいいです。同じような色の糸で目立たないように縫ってもらえれば十分ですので 」 
「 なかったことにはしないでください 」 にこやかに話す私なのでにこやかに応対してくださるも内心は???だったかもです。

最後に念を押すように、「 お気に入りなので、どうぞよろしくお願いします 」と。


「 きれいに縫うように書いておきますねと 」 ・・・・あなたが縫うのではなかったのですね・・・(笑)とのミニ落ちもつきました。


ほつれが、傷が、なかったことのように隠してしまうと、少なくとも私は私でなくなってしまうのです。

私は一瞬、何の悪意もない洋服屋さんに抹殺されそうな心境になり・・・、しかし、日ごろの研鑽が功を奏してか、瞬時に自身の心に気づきそれは私の心のひだに触れる楽しい瞬間に変わりました。


という、思いだしてもクスクスできる(私にとってはです)お話でした。



何のことを言っているのか・・・??? という方も、もしかするとおられるかもしれませんが、これ以上説明すると面白くなくなってしまうので、悪しからずご了承くださいませ。


それでは、失礼いたします。






 
| 昨今の私 | 22:41 | comments(0) | trackbacks(0)
浄土宗 五重相伝
 今年、5日間、浄土宗の五重相伝を受ける機会がありました。

尼僧である叔母のお寺で執り行われたものだったので、ご縁があり参加の運びとなりました。

勧誡(かんかい)という、お勉強の時間が述べ15時間、そのほかは念仏・廻向です。

勧誡師の川本剛空上人のお話は本当に学び多く、ありがたいものでした。

    
その、川本剛空上人の書を、五重相伝の記念としていただきました。


そのものからの「気」がわかる方は、これは・・・触れることはできませんと。
神棚ものですよと。

その価値のわかる額屋さんもこれは・・・と、絶句されていました。


        P1040231.jpg

 
 私には難しいことはわかりません。

しかし、それはそれは伝わってきます。


川本剛空上人その方と、出会わせていただいていることが大きいのだろうとと思います。


お寺のお住職をされている上人とは、叔母のお寺でのお念仏会でまたお会いする機会も得られるようで、心待ちにしているところです。



皆様は、どうお感じになられますでしょうか?



私が感じるその思いは複雑多岐であります。


ただ言えることは、対話できる感覚であるという感覚です。(笑)
しかし、
簡単に言葉に変換できるものでなく、それはどちらかと言えば「負」の感覚におうところの大きいような感覚です。
なら、マイナスか・・・それがまたそうではなくそこから放たれるものの崇高さがあり・・・。


私が私の中で畏れながら、「師」と仰ぐ方もそのような感覚を畏れながら感じるところです。

畏れ畏れとうるさいですが、どうしてそのようにあれるのか・・・域をまたいでいる方には畏れを覚えずにはおれません。



そうあることそのものの崇高さと苦がそこにあるのだろうと、畏れながら思うところです。







  
  
| 昨今の私 | 23:08 | comments(0) | trackbacks(0)
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