ひなぎく心理ルームでは臨床心理学の立場から、いろいろな心の「悩み」や「葛藤」、「違和感」などに対してお話を充分にお聴きし、共に見つめ、整理しながらカウンセリングを進めていきます。
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続・勉学の秋

お待たせ致しました・・・か、どうかは定かではありませんが(笑)、

日本精神分析協会 精神分析インスティテュート福岡支部 主催

「ルディ・ベルモート先生セミナー」参加のご報告申し上げます。

 

講演は「こころの機能と心的変化:ビオンの業績に基づく統合的アプローチ」でした。

そして討論を、松木邦裕先生が勤めてくださいました。

講義内容が臨床実践を軸にまとめられていたので、脳内をフル稼働させて何かを感じとろうとしている私がいるようでした。

そこに記述されることのこころの水準の近似が自身の臨床の中のどこにあるのかと、考えるともなく考えながらいました。

松木先生の討論が始まり、ルディ・ベルモート先生の講義内容をさらに変形して伝えてくださることで、形が見えはじめ、さらなる問いや、私なりの仮説が浮かびはじめます。

「退行」か「転移」か、ベルモート先生は「退行」という視点を軸としたので、長期休暇中の「構造化された15分の電話でのやりとり」がその文脈の中でなされたのではないだろうか、これが松木先生が言われた「転移」を軸とすれば、電話のやり取りはまずもって発生しないだろうと私は思いました。すみません。読み手を広く意識せずに好き勝手な記載悪しからずですが、続けます。

若かりし頃、私がアウトリーチで統合失調症の患者さんと面接をしていた時、机を指で小刻みにトントンたたく彼のリズムに合わせて(ベータ要素の世界)、私は私の膝を自身の手でゆっくりトントンして(赤ちゃんを寝かしつけるトントンのイメージで)非言語的な交流をしていたこと、面接ではない精神障碍者の作業所の空間での交流などに講義内容のある側面についてはイメージが向かいました。そして精神分析の臨床の場面に思いを馳せます。その場でのこころの水準について、治療者側が近似のイメージを共有して語り合うことそのものも本当には、難しいことであるとの思いを改めて感じた次第ですが、その壁を限りなく低くして、そしてまとまりのある問いを私が発見するところまで、松木先生の討論内容と配布資料が導いて下さいました。☟☝⇄空間、自由、無限の中にある言葉にされた内容。かっこいい。

 

こころの言葉にならない水準を扱うということについて、ひとつ私が思うのは、クライエントは自らの意志で構造化された枠の中で自身のこころに取り組むことを開始できる、その能力をすでに備えているという事実であり、それは先の私の交流のあり方とは異なるということです。ここからは、ちょっと広がるので、もうおしまいにします。

 

福岡で開催された講義でしたが、その後、佐賀に足を延ばしました。

17時31分の電車で1時間と少し。

途中、こころ模様は「苦しみ・痛み・かなしみ・よろこび・感謝」と深く変遷しました。

この世界はグリッドでいうならどの世界・・・、別世界?など、不可知な領域に思いを馳せたときでした。

しかしながら実は、この不可知なことにも、私なりの仮説をことばにおとしています。

このことと、精神分析実践はそんなに離れていないとも思っています。

 

長くなりました。

これ以上、迷宮の記載が増殖することは避けなければなりません。

というか、お腹が空きました。(笑) おもしろいなぁ。

ホントに自分というものには手がかかりますね。

 

貴重な講義を受講でき、ルディ・ベルモート先生、松木邦裕先生をはじめ、福岡支部の諸先生方にこころから感謝です。

 

ご精読、ありがとうございました。

 

| 昨今の私 | 13:48 | comments(0) | trackbacks(0)
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