始めにお詫びとお断り
お詫びは、2ヵ月もアップが叶わず、ご無沙汰して申し訳ありませんでした。
お断りは、硬いお題ですが、内容は緩い、とのことです。(笑)
毎年、5月・6月は忙しく、今年は開業のみ稼働ゆえ、そうでもないかと思いきや、
5月に関しては忙しいことになった次第です。
研鑽がらみでの多忙は充実感がありいいものでした。
少し前の朝の連ドラの話になりますが、
有名漫画家に弟子入りを指南された主人公の女の子が「漫画家になる!」と言い、
母親が「そんな競争の世界でやっていけるわけがない」と、娘をたしなめます。
それに対して「漫画の世界は競争の世界じゃない夢の世界や、私は夢の種を手に入れたんや」
と、主人公の女の子は答えます。
また、中村雅俊扮する祖父と父親が、娘が漫画家を目指すことについて話し合います。
賛成の祖父は言います「この年になるとなぁ、先が分かる。先が分からんと言うのは最高に贅沢な気がする。夢は見てるだけで贅沢や」
父親「かなわんでもか?」
祖父「おう、その時間がいい。夢見てる時間だけでももととれるな」というものです。
で?、と言われるとなんですが、印象に残りました。
何故印象に残ったか、
お題は「研鑽の意義」ですが、精神分析の研鑽を本格的にはじめ、
歩みを進めるに連れ、感じて来たことを改めて意識する機会になったからのようです。
つまり、研鑽は競争ではないということ。
もちろん、研鑽の意義は「臨床力の向上に尽きる」のは、
私を含む同業者の共通認識であることは言うまでもありません。
と、少なくとも私はそう思っています。
そして自分の足元を見れば、人生の折り返し地点はとおに過ぎ、
先が少し見えるようにもなってきています。
暗い話しではないです。(笑)
それでも、精神分析の学びには夢があると言いたいのです。
私は心理臨床家なので、精神分析理論は現場での一期一会に照らされます。
臨床を照らすことが、私にとっての研鑽の軸といえます。
あっ、ちょっと硬いか…。
これ!と思う、精神分析理論との出会いで、私の人生の歩みが、
少々先が見えていても(笑)夢あるものになり、
研鑽による気づきから臨床知が広がる、その喜びは計り知れません。
ここに夢があります。
幸せなことです。
この度も、肌寒い午前中、お気に入りのストールに身を包み、
幸せな研鑽に励みました。
よって、アップが叶いませんでした。
えっ、最終、言い訳。
はい。
こんなまとまりのあるような無いような、アップとなりましたが悪しからずです。
お立ち寄りいただき、ありがとうございます。