ひなぎく心理ルームでは臨床心理学の立場から、いろいろな心の「悩み」や「葛藤」、「違和感」などに対してお話を充分にお聴きし、共に見つめ、整理しながらカウンセリングを進めていきます。
無心の対話(四)に参加して

勉学の秋でございます。

第69回日本精神分析学会が、11月3日から5日に行われることに先立って、

2日(木)午前に京都大学楽友会館において表題の研修会が開催されました。

無心を巡る精神分析家と哲学者によるシンポジウムです。

登壇された先生方は、

 

松木邦裕先生(京都大学名誉教授・精神分析家)

西平直先生(上智大学グリーフケア研究所教授/京都大学名誉教授 死生学・教育人間学)

Rudi Vermote (Professor Emeritus University of Leuven・Training Analyst and past

president of the Belgian Psychoanalytical Society) 先生です。

 

ご講義が始まるにあたって京都大学の西見奈子先生より、

この講義の内容は金剛出版から書籍化されると告げられました。

そうでしょう。そうでしょう。と思う私です。

レジメの内容は大変高度なものですが、私のこころに沁みこむようです。

それぞれの先生方が互いをリスペクトしながらなされたご講義は、

内容もさることながらその凄みをさらに増したように感じました。

内容は私に述べるすべもありませんので書籍をどうぞです。(笑)

 

ここでは、私に引き寄せての記載です。

ベルモート先生のレジメに、ある言葉が出てきました。

邦訳(清野百合先生による)はカタカナで、ゲラッセンハイト(放下/手放すこと)と、

してくださっています。ドイツ語で、Gelassenhiet と記すようです。

 

 

そう、「放下」です。

これは10年前に、川本剛空上人が、私のために書いて下さったものです。

当ルームの玄関を彩ります。

ルームを去る時にはときおり感謝を込めて会釈します。

恥ずかしながら意味は今ももちろんわかるに及んではいませんが、

意味がもたらされた所在は理解できました。(笑)

松木先生、西平先生、ベルモート先生、ありがとうございます。

 

次の日の学会では、ベルモート先生のレジメの中にある、ある言葉を、

私がご挨拶をした先生が私に伝えてくださいました。

あまりに過ぎる言葉なので記せませんが、うそのないひとことであることは感じました。

 

学会は、学びもさることながら、

会うべきひとに偶然会う(私ひとり入った飲食店でその先生だけおられるとか)

ことの面白さと、その土地に触れる(広島でした)楽しさがあり、

師は学会はお祭りだといわれていましたが、常の学びをともにする仲間ともいつもと違うテンションで、私なりにお祭りを満喫することができました。

 

来年度に向けてのもろもろの準備と日常の大切な臨床業務に精進あるのみ!!と、

気持ちを新たにしております。

 

お立ち寄りいただきありがとうございます。

今日の京都は晴天ですが、それでもこよみは立冬です。

週末からぐっと冷え込むようですので、皆様におかれましてもお身体大切になさってください。

お読みいただきありがとうございます。

| 研修会 | 13:10 | comments(0) | -
不登校児童・生徒の保護者面接を学ぶ研修会

梅雨明けも発表され、毎日大変な暑さですが、

みなさまにおかれましては、体調などくずされておられませんでしょうか。

 

さて、「研修会」のカテゴリーでの記載です。

8月のお盆を過ぎた頃に専門家にむけた表題の研修会を企画いたしました。

当ルーム主宰のものです。

 

私が、不登校の児童・生徒さんやその保護者の方々にかかわるようになったのは、

1997年4月から、いじめ・不登校を専門に扱う精神科医院に勤務したことに始まります。

(この医院の閉院を機に当ルームを開設したので、現在は存在していませんが、

私が勤務した学校のカウンセリングルームの本棚に、院長土屋守先生の著書を見かけることがありました。当時、何度かNHKにも出演されていました)

その後、スクールカウンセラーとして、当ルームにてとなります。

 

全国的に不登校児童・生徒の数は、ここ数年増加の一途をたどり、

京都府も例外ではありません。

 

不登校児童・生徒には、直接会えないけれど、その保護者は私たちに会いに来て、

どのように対応したらよいのかとの質問を受けることはよくあることとおもいます。

その問いに、応えるためには、まず、児童・生徒の状況を見立てる必要がありますし、

その保護者の方の過度な負担にならないように配慮しながら、

具体的なかかわり方をお伝えすることが必要になることもすくなくありません。

 

例えば私たちが保護者の方々の心的な負担に配慮して、労わりを言葉にしているのみでは、

事態は進展していきませんし、子どもさんにどう関わったらよいかを真摯に求めている保護者の方にとっては、私たち専門家の対応がものたりないものになってしまうことでしょう。

 

私は、不登校児童・生徒の保護者面接の場合、

はっきり、しっかりと見立てをお伝えすることに努めています。

私の見立てを聞いた保護者の方から、反応が返ってきます。

私たちに会いに来る保護者の方は、

当然のことながら子どもさんの情報をたくさん持っておられます。

その持っておられる情報と、私たち専門家が伝える情報がやりとりされ、

子どもさんのこころに、2人で想いを傾けながら面接を進めていくことになります。

 

まずは、私たち専門家が何らかの見立てをお伝えすることがとても大切です。

それは、泣く幼子に対して母親がどうしたの?こけたの?お腹いたいの?と、

声をかけていくようなものです。

かわいそうにねぇと、声をかけていることでは、

声をかけずに無視をしているということよりはましですが、

その子は自身の状態を表現することばをもつことに時間がかかるやもしれません。

できるならば、こどもが「うん」と、言える内容にたどり着きたいものです。

 

保護者が、私たちの見立てや想像することを聴いて、そうなんです!、…

そういえば、このようなこともあって…と、保護者の中から子どもさんへの理解につながる

エピソードが話される。そのようなやりとりが存在し始めるために役に立つ視点が、

精神分析の対象関係論の理論の中にあり、

その理論を実践とつなげながらお伝えしたいと考えています。

 

実りある研修会となるように準備を進めたいと思います。

お立ちより頂きありがとうございます。

 

毎日、大変な暑さですが、皆さまにおかれましても体調崩されませんように、

お身体大切にお過ごしくださいませ。

 

| 研修会 | 12:39 | comments(0) | -
週1回の精神分析的心理療法で何が達成できますか?

「週1回の精神分析的心理療法で何が達成できますか?」

これは、今年の日本精神分析学会でのテーマの一つにあるものです。

 

メインのシンポジウムも「週1回の精神分析的心理療法の技法」です。

当ルームの実践と照らし合わせながら拝聴する貴重な機会となりそうです。

 

話を当ルームに引き寄せますが、

当ルームは18年目をむかえており、領収書は200冊を超えました。

開業臨床祝1万回というところでしょうか。

開業当初は勤務していた精神科医院から継続の患者さんのみで、

新患さんの獲得も容易でなく(今も容易とは言えませんが成り立っています)、

年数に比して面接回数は多くありませんが、百単位は1つの節目感まんさいです。

開業当社から兼業でしたが、2018年からは開業のみに専心しています。

よって300冊への到達速度ははやまることでしょう。

 

当ルームのつよみの一つに、精神分析的心理療法に移行(11年前)する以前から、

そうではない心理療法(あくまで私が学んできた範囲ですが)で、それなりに成り立ち、

それらの心理療法の有効性と限界に想い至っていたということがあげられます。

そのことによって、精神分析的心理療法でしかなし得ない作業の領域が、

わたしにははっきりとわかっていることです。

 

もちろん、精神分析的心理療法のよわみもあります。

週1回以上の来室頻度が必要なことや来室年数も幾年かを要すること、

そのことによる経済的な負担などは、よわみなのかもしれません。

ただ、そのようなことも含めてしっくりくる方が利用されるので、

広く一般のカウンセリングを想定するとよわみかもしれませんが、

よわみにはならないのかもしれません。

 

精神分析家ビオンは、患者/クライエントについて、

(分析を受けに)来ない人ではなく来る人なんです。といっていて、

わたしはこのビオンの発言が実はとても意義深いものだと思っています。

 

つまり、患者/クライエントは、特に開業の門をくぐるクライエントは、

意識的・無意識的にしっかりとしたニーズをもっていて取り組む姿勢があるということです。

 

ただ、そのクライエントのニーズに、

精神分析的心理療法がかなうかどうかということは重要事項といえます。

まずここで治療者の力量が問われるところだろうと思います。

続けたけれど期待した変化が得られないということはあってはなりません。

なので、当ルームで提供する精神分析的心理療法を肌で体感していただき、

はじめのほんの短い回数でちょっと求めているものと違うみたい、

ということを感じていただくことをおおいに良しと思っていることです。

それはどういうことかといえば、私の場合は特に外勤において顕著ですが、

ある程度相手に合わせながら友好的にという、自然発生的ともいえる言動を極力ひかえて、

私の提供する精神分析的心理療法をしっかりと示すということです。

 

うん?

今回は「研修会」のカテゴリーで書き始めたことを思い出しました。

思いきり脱線しているようです。(笑)

「週1回の精神分析的心理療法で何が達成できますか?」なんて問われた日には、

力説したくなることが山のようにあるということのようです。

 

研修会といえば、

所属している師の研究会での講義担当が8月にすみ肩の荷が下りたところです。

京都いのちの電話の研修委員としての活動では、

認定相談員の毎月定例の班別研修と個人SVにくわえて、

昨年度からは認定に向けた研修生のGSVの担当や、

相談員の募集に向けた一般の方への講演を依頼され、

今年度も昨年度と同じ3月21日に講演を行いGSVも担当することになりました。

それなりの成果を出し、再度依頼されると言うことは本当にうれしいことです。

昨年の講演ではビオンの「α機能」というワードを盛り込んだのですが、

今年度は「コンテイナー/コンテインド」を盛り込もうかと思っています。

一般の方に向けた講演でお勉強ではありませんので、うまく盛り込むことです。

 

所属する研究会での講義経験や京都いのちの電話での経験は、

私自身の利をこえて精神分析臨床の発展と、

ひいてはクライエントのこころの進展に資することにつながると考えています。

微力ながらそこにむかうことです。

 

右往左往の記載となりましたが、このあたりでおいとまいたします。

みなさまにおかれましてもどうぞお身体大切にお過ごしくださいませ。

お立ち寄りいただきありがとうございます。

| 研修会 | 16:10 | comments(0) | -
座学と臨床

私の所属しているセミナーの本年度の座学がはじまりました。

このセミナーは日本精神分析学会認定のもので、

主催者は精神分析家である松木邦裕先生(日本精神分析協会会長・京都大学名誉教授)です。

受講者は、精神分析の理論を軸に臨床を行う先生方で固定メンバーです。

 

精神分析の理論を臨床に生かそうとする先生方は、

臨床のみならず座学での学び(自主的に行う論文作成なども)にも熱心です。

臨床心理士に関しては、その資格を取得してからも、

継続的な研鑽を重ねることが義務付けられており、

5年に一回、研鑽をポイントに換算して一定水準をクリアしないと資格の更新ができません。

わたしですら、いつもこの必要ポイントの3倍は有していることです。

 

私が現在、毎月継続的に参加する定例研修会はこのセミナーのみです。

松木邦裕先生が日本において中心的にビオンの理論を紹介してくださり、

私はビオンが提示する理論を最も好んでいますので、

(セミナーの内容は精神分析全般に渡りますが)

このセミナーでの学びを深めることに専心しています。

座学で蓄えられた知識に偏らず、

もっとも臨床的な視点を松木先生が提供してくださることもこのセミナーの魅力です。

 

参加されている先生方の年齢も幅広く臨床の拠点もまちまちなので、

そのコメントもさまざまとなります。

同じ山を見ていても、どの角度から見るのか、その山に何を感じるのか、

どのようにしてその山にのぼるのか、登るにはどのルートがあると考えるのか、

などなど違うのです。

結果としてのもろもろの定義(学派など)は先達により示されているのですが、

それに見合う好ましい臨床結果に向かうために臨床の中の何に着目するのかが違うのです。

当たり前のことを書いているにすぎませんが、

精神分析があらゆる心理(精神)療法の中で、

もっとも治療者のパーソナルな何かを使用する学問であることを考えると、

その認識が多岐にわたることは必至なのでしょう。

ゆえに奥が深く難しく難題が山積していることです。

 

「四十、五十は、はなたれ小僧、六十、七十働き盛り、九十が来て迎えが来たら、

百まで待てと追い返せ」渋沢栄一の格言ですが、

精神分析のコミュニティにいると、まだ私は、はなたれ小僧だ…良かった…と思います。

これが一番言いたかったことです。(笑)

 

そして面接の中で臨床家が知らないといけないことは、座学の中にはありません。

それは臨床の場にしかないことは、ビオンが述べていることです。

とはいえ、臨床で培われた経験から推論される言明には価値があり、

その内容を通しておのおの、自身の臨床の吟味が行えます。

よって、座学も欠くことのできない貴重な研鑽の場となります。

でも、本当に見解(見立て)が違うのです…。

それを見越してか、松木先生はメンバーに、ある精神分析の定義について、

各人の認識を問うてくださる内容を提示してくださいました。

それを考えるのがこの上なく楽しい私を感じるとき、私は出会えていると思うのです。

 

とにもかくにも、私にとっての座学は私のもとを訪れてくださる方に還元されるべきものです。

座学と臨床をつなぐことが出来なければ座学の意味はないと思います。

はなたれ小僧の域を出る頃には、座学と臨床をつなぐ言葉をより発信できればと思います。

 

お立ち寄りいただきありがとうございます。

皆さまにおかれましてもどうぞお身体大切にご自愛くださいませ。

| 研修会 | 14:01 | comments(0) | -
学び

京都は今月20日より4度目の緊急事態宣言が発令されました。

感染の拡大傾向に歯止めがかからず増加の一途をたどっています。

 

本日、「無心の対話(二)――修練をめぐって――」

精神分析家 松木邦裕先生と 哲学者 西平直先生の対談を、

拝聴しました。

緊急事態宣言発令となり、オンライン開催となりましたが、

途中その内容の面白さに、お猿さんのおもちゃのようにぱちぱち手を叩く私でした。

高尚な内容ゆえ、分かり得なかったところもありましたが、

専門領域の違う先生方の対談ということで、

同業者間での、おおよそ分かちあえることを前提とした語りとは違う、

ことばの選択がなされての議論、その醍醐味が何とも面白くありました。

…結果的に無心になっている…

…世阿弥と違うのは分析では他者がみていない…

…あるとき分かる、この本物性、こんなことを言うと…・(私がお猿さんになったところです)

なんとなく、内容を記載するのは控えめにと思いこの三つにします。

 

他者が見ていない分析臨床の世界。

同業者間の研鑽も言葉を通してしかなすことができません。

なので実際の空気感などは相当違うのだろうと想像します。

今日、ご講義の両先生が言葉に表し共有することが難しいこころの世界について、

言葉を使って表わそうとしてくださることに触れて、

他者に伝わることばを選択して利用することの大切さも改めて認識しました。

例えば、学術論文の隅々に意識を行きわたらせて分かるように表現する。

それには時間が相当にかかるとのことを実感する今日この頃でもあります。

 

今日のオンライン、私は空気を読めない人?でまたまたオフのお手間を取らせました。

さっと自らオフにして、最後に一瞬、実物で拍手が良かったな。(笑)

とても学び多い時間ありがとうございました。

遠方から足を運んでくださった、

松木邦裕先生、本当にありがとうございました。

 

お立ち寄り頂きありがとうございます。

当方もワクチン接種を完了しているとはいえ、この広がりは怖いです。

皆さまにおかれましてもどうぞお身体大切になさってください。

| 研修会 | 18:09 | comments(0) | -
ネガティヴ・ケイパビリティ/負の能力

過日、松木邦裕先生の

《こころの臨床での「ネガティヴ・ケイパビリティ」:わからなさ、不確かさにもちこたえること》と題したご講演を拝聴しました。

Zoomでのライブ配信で150人近い参加者となっていました。

オンラインゆえ全国からの参加が容易なので例年増の参加者となったようです。

 

師のご講演を拝聴すると、わたしのこころの中にある臨床的「問い」が広がる、

もしくは集束するような体験が発生します。

つまり研修内容が濃密であるので、1つの言葉から連想が広がるということです。

 

リアルタイムで自身の連想が奏でられ、ときにそれを言葉に変形することができる(ここでは「解釈」を指します)、とするなら、このことが実現するにいたるまでに「ネガティヴ・ケイパビリティ/負の能力」が、必要なのだと。

これは、答えを急いで知識から紡ぎ出す「解釈」とは質を異にするということなのでしょう。

もちろん、知識としてしっていることもどこかにはあるのですが、それが最前線で機能するものではないと理解します。

奥の深い話です。

そう、とっても奥が深いです。

師はいくつの次元でその空間を感知しておられるのかと思います。

その実はどうか、それはわからなくとも、

私に連想され思考される範囲で私の学びは広がります。

いくつかの次元を感知するなら、自ずと常に分からないことのなかに生きることになります。

わからないことは欲求不満なことではありますが、意識的に保持できるなら後に見えてくることも少なくありません。

 

そのように考えると、わからなさにもちこたえられないということは「真を偽に変えてしまう」ことにもなり、わからなさにもちこたえられるということは、それが真でも偽でもその先にある真を知ることを実現することに開かれると、私は確信しています。

 

またまたお話が込み入りました。

学びはつきませんが、私の目下の課題(最も意識的領域)を遂行するべく精進あるのみです。

 

お立ち寄り頂きありがとうございます。

天候、社会情勢ともに動きが激しく大変な日々ですが、

みなさまもどうぞお身体大切にお過ごしください。

| 研修会 | 14:01 | comments(0) | -
師に学ぶビオン

はじめにお伝えいたします。

100%、私の為のアップとなります。

悪しからず、ご了承くださいませ。

 

本日のセミナーでは、師からビオンの講義を拝聴することができました。

その他のディスカッションでも、師のコメントにより、私の脳内には稲妻が走ります。

精神分析の理論を本格的に学ぶようになり、師の講義から系統立ててビオンを学ばせて頂き、

それが、私の臨床経験の中でのクライエントからの学びと番い始めています。

 

的を得たものなのかどうかは分かりませんが、私の脳内の興奮が冷めやりません。

ちょっと、落ち着こうね。やばいよ。

と、つぶやく私もおりますので大丈夫ですが、アップの塩梅です。(笑)

 

少し、気持ちを緩めたいと思います。

師は、いつも答えてくださいます。

それは、ビオンで言うなら(すみません、言わせてやってください(笑))、

私のアルファ要素や、夢思考・夢・神話水準、そして多くは前概念レベルの思考が、

概念に上がる刺激をいただくことができるということです。

それはひとえに、師が敬愛なる親であるからなのだろうと思います。

親の手の中であるからこそ、自由に無限の思考を動かすことができるように感じます。

 

私は私自身の変化を敏感に感じ取り、

自身をその臨床の道具として機能させることに、慎重にこころを砕かないといけません。

そのためには、ごくごくシンプルに大好きな師のもとで子どものようにいることは私にとって非常に重要です。

とはいえ、今日は思考が動きすぎて、発言が羽ばたきすぎ、やや反省です。

一人違ったところに飛ぶ私を師が、ちゃんと皆の中にもどしてくださいました。

感謝です。

 

また来月、師をはじめ、諸先生方との学びを楽しみにしつつ、

日々の臨床と感染症対策に取り組んで参ります。

 

今日の終わりに、また来月、みな元気に会いましょうと、

師が、こころから私たちに声をかけてくださり、とっても嬉しかったです。

師のもとで、セミナーのメンバーと共に学べる幸せを噛みしめています。

落着きました。

笑顔。

 

皆さまも、感染症と暑さにくれぐれもお気を付けください。

それではこれにて、お立ち寄り頂き、ありがとうございます。

| 研修会 | 19:36 | comments(0) | -
日本精神分析学会第66回大会中止決定

本年10月に予定されていた日本精神分析学会第66回大会の中止が決定しました。

今年は福岡開催でしたので、より楽しみなことでしたが、

新型コロナウイルスの感染拡大に配慮した決定となりました。

中止になる可能性はこの情勢や学会からの別便ハガキでお伝え頂いていたことなので個人的にも想定の範囲内のこととなりました。

また次年度以降の学会を楽しみに、日々の研鑽をつづけるのみです。

 

私の日々の研鑽、それは当ルームに来室くださる方に還元されます。

「還元」の精神。

私と関わる方々に還元するという思いに立ち返ることを忘れなければ、

今、私の置かれている状況は十分なものです。

表現したいことを、表現するためにさらなる力をつけることに終わりはありませんが。

 

いつ何時も気持を切り替えてしなやかに生きていきたいと思います。笑顔。

気持を切り替えるコツをお教えしましょう。(笑)

それは逆説的ですが、気持ちにどっぷりとつかることです。

それがどんな気持でもどっぷりつかれるほど、切り替えが早くなります。

ただ、その感情に耐えられなければならないということがあるのですが。

愚直な私ですが、これからもこの私でしか生きられないでしょう。

なんというおちでしょうか。(笑)

 

いつもお立ち寄り頂きありがとうございます。

ステイホームに続いて、雨模様で空が暗いと気持ちもどんよりしますが、

皆さまにおかれましても体調くずされませんようご自愛くださいませ。

 

 

| 研修会 | 15:54 | comments(0) | -
続・勉学の秋

お待たせ致しました・・・か、どうかは定かではありませんが(笑)、

日本精神分析協会 精神分析インスティテュート福岡支部 主催

「ルディ・ベルモート先生セミナー」参加のご報告申し上げます。

 

講演は「こころの機能と心的変化:ビオンの業績に基づく統合的アプローチ」でした。

そして討論を、松木邦裕先生が勤めてくださいました。

講義内容が臨床実践を軸にまとめられていたので、脳内をフル稼働させて何かを感じとろうとしている私がいるようでした。

そこに記述されることのこころの水準の近似が自身の臨床の中のどこにあるのかと、考えるともなく考えながらいました。

松木先生の討論が始まり、ルディ・ベルモート先生の講義内容をさらに変形して伝えてくださることで、形が見えはじめ、さらなる問いや、私なりの仮説が浮かびはじめます。

「退行」か「転移」か、ベルモート先生は「退行」という視点を軸としたので、長期休暇中の「構造化された15分の電話でのやりとり」がその文脈の中でなされたのではないだろうか、これが松木先生が言われた「転移」を軸とすれば、電話のやり取りはまずもって発生しないだろうと私は思いました。すみません。読み手を広く意識せずに好き勝手な記載悪しからずですが、続けます。

若かりし頃、私がアウトリーチで統合失調症の患者さんと面接をしていた時、机を指で小刻みにトントンたたく彼のリズムに合わせて(ベータ要素の世界)、私は私の膝を自身の手でゆっくりトントンして(赤ちゃんを寝かしつけるトントンのイメージで)非言語的な交流をしていたこと、面接ではない精神障碍者の作業所の空間での交流などに講義内容のある側面についてはイメージが向かいました。そして精神分析の臨床の場面に思いを馳せます。その場でのこころの水準について、治療者側が近似のイメージを共有して語り合うことそのものも本当には、難しいことであるとの思いを改めて感じた次第ですが、その壁を限りなく低くして、そしてまとまりのある問いを私が発見するところまで、松木先生の討論内容と配布資料が導いて下さいました。☟☝⇄空間、自由、無限の中にある言葉にされた内容。かっこいい。

 

こころの言葉にならない水準を扱うということについて、ひとつ私が思うのは、クライエントは自らの意志で構造化された枠の中で自身のこころに取り組むことを開始できる、その能力をすでに備えているという事実であり、それは先の私の交流のあり方とは異なるということです。ここからは、ちょっと広がるので、もうおしまいにします。

 

福岡で開催された講義でしたが、その後、佐賀に足を延ばしました。

17時31分の電車で1時間と少し。

途中、こころ模様は「苦しみ・痛み・かなしみ・よろこび・感謝」と深く変遷しました。

この世界はグリッドでいうならどの世界・・・、別世界?など、不可知な領域に思いを馳せたときでした。

しかしながら実は、この不可知なことにも、私なりの仮説をことばにおとしています。

このことと、精神分析実践はそんなに離れていないとも思っています。

 

長くなりました。

これ以上、迷宮の記載が増殖することは避けなければなりません。

というか、お腹が空きました。(笑) おもしろいなぁ。

ホントに自分というものには手がかかりますね。

 

貴重な講義を受講でき、ルディ・ベルモート先生、松木邦裕先生をはじめ、福岡支部の諸先生方にこころから感謝です。

 

ご精読、ありがとうございました。

 

| 研修会 | 13:48 | comments(0) | trackbacks(0)
勉学の秋

秋です。

10月のセミナーをこころまちにし、そのうちのひとつが過日東京で行われました。

 

それは、日本精神分析協会主催で「ビオンから学ぶ」と題されたものでした。

学び多く、こころが弾みました。

松木邦裕先生が総合司会と『ウィルフレッド・ビオンの人生と業績』の紹介をしてくださり、午前には福本修先生が『ビオンの集団経験再考』と題して、

午後には平井正三先生が『ビオンの思考と関係性の理論』と題して、

藤山直樹先生が『私たちの実践への後期ビオンのインパクト』と題して講義が行われました。

日本でのビオン理解を深める為の知識の宝庫である錚々たる先生方であり、なんとも贅沢なことでした。

 

そして最後に40分程の時間を使って、講師と参加者による全体議論がありました。

4名の先生方が並んでおられる光景の記念写真を頭の中で撮りました。(笑)

学会のシンポジウム等の大会場ではないので、講義の内容以外の様々なことが直に感知され、多くの学び・資料が得られました。

難解と言われるビオンの理論ですが、臨床経験から発現する「問い」が先行してあれば、すっとなじむ内容も多く有るというのが私の実感で、何よりも私自身のこころの軌跡の内容が、そういうことだったのか!!とビオンの理論で理解ができることの多さに、今となっては笑みが零れ、目から鱗が落ち、さらに楽し気にうろこが舞い散るようでもあります。(笑) そう思え、自身のこころの軌跡を資料とし得るのは個人分析の賜物でもあります。

 

楽しく幸せなときでした。

ビオンのグリッドの醍醐味を味わい、その意義を再認識するときともなりました。

私なりの探索ですが、もの思う探索はこの上ない充実感を私に与えてくれます。

諸先生方に感謝です。

 

今週末は、後期ビオンを語る世界的第一人者であるベルギー精神分析協会訓練分析家の

「ルディ・ベルモート先生」のセミナーを受講予定です。

学びの秋を満喫していますとのご報告でした。

 

それでは、これにて失礼します。

いつもお立ち寄りいただきありがとうございます。

 

 

| 研修会 | 10:47 | comments(0) | trackbacks(0)
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