ひなぎく心理ルームでは臨床心理学の立場から、いろいろな心の「悩み」や「葛藤」、「違和感」などに対してお話を充分にお聴きし、共に見つめ、整理しながらカウンセリングを進めていきます。
3月になりました

ご無沙汰しております。

 

2月はアップに至ることができませんでした。

「昨今の私」のカテゴリーで取り留めない内容ですが記します。

 

2月のこまごまとした大変ごとに新しいパソコンへの移行ということがありました。

どうしても解決できないことを遠隔操作で2回おせわになりなりましたが、

なんとか完了しました。

遠隔操作のすごさに大喜びな私でした。

そして新しいパソコンは、私の入力の速さがそれなりになっていることを知らせてくれ、

ストレスフリーを味わっています。(笑)

さて次は、確定申告を急がなければというところです。

 

4月からは、ひなぎくの開室日を3.5日として、2日を外勤にあてます。

ありがたいことにひなぎくへの新しい来室者も今までにない感じでじわじわと増えています。

 

2月から、考えないといけないことが多すぎますが、

時間の流れにその答えをゆだねるしかないことも多いなぁとも感じています。

でも考え続けているということは、

私にとって当たり前のことであり仕事にも反映される鍛錬ともいえ思考を止めない私です。

止めれない?…のかも。・・・温泉や岩盤浴の中では止まっているかな。(笑)

 

ほんの、ほんの少しのとりとめもないお話でした。

3月になりました。

 

皆さまも体調など崩されませんようどうぞお体大切にされながらお過ごしくださいませ。

お立ち寄りいただきありがとうございます。

| 昨今の私 | 18:38 | comments(0) | -
春(来年度)に向かって

もうすぐ春です。

新しい年度がスタートします。

転勤が気になる方もおられるでしょう。

自営の方はこのご時世もあり見通しが持ちにくく、

ストレスの多い日々をお過ごしのことと思います。

 

当ルームは、2005年に開設して4月からは18年目に入ります。

勤務していた医療機関の閉院状態を受けて継続面接の場所として構えたことに始まり、

あれよあれよという間にここまで来ました。

来談者中心療法と子どもへのカウンセリング、

それに、EAP(企業の方へのカウンセリング)の提供を加え始めの7年が過ぎました。

そのころにようやく経費と収入がとんとんになった時期でもありました。

 

その後、2012年からカウチを導入して、精神分析的心理療法の提供を開始しました。

お会いする頻度も、精神分析的心理療法に合わせる形で、

週1回以上の頻度に変更していきました。

 

現在は、精神分析的心理療法を軸に提供しながら、

精神分析的な視点を活用して「不登校」の親御さんの支援を行っています。

 

決して安くない料金を頂くからには、

間違いなく効果を実感していただけるものを提供していることです。

とはいえ、精神分析的心理療法は相応の時間を要する取り組みとなりますので、

解決したい問題がはっきりしていて、

効果を早く出したいなら認知行動療法などが有効かと思います。

 

そうではなくて、私との関わりを持ちながらじっくりと自分のこころを見つめて、

整理していきたい、自身のこころを知っていきたい方は、

精神分析的心理療法が良いと思います。

話を聞いて欲しいという思いが強い方も向いていると思います。

 

来年度も私のなすことは、来室してくださる方に有意義な時間を提供できるように、

研鑽を重ねることだと思っています。

そして心身を良い状態に保ち、いい状態で耳を傾けることです。

 

そのために、学びを深めたいと思います。

学びの内容にわくわくしながら進んでいけるという、

この上なく有難い研鑽環境に身を置くことが出来ていることに感謝です。

 

皆さまにおかれましても、年度末はお忙しくされていることと思います。

寒暖差もあり体調管理も大変かとおもいますが、

どうぞお疲れ出せれませぬようご自愛くださいませ。

お立ち寄りいただきありがとうございます。

| 昨今の私 | 19:55 | comments(0) | -
コロナ禍といのちの電話

今日で2月も最終となります。温かさが感じられる陽気となりました。

今回は、京都いのちの電話ニュースレター第117号の寄稿文を下記に記載してみました。

お立ち寄りいただきありがとうございます。

 

コロナ禍といのちの電話 

 

 私は、京都いのちの電話の研修委員です。その私の目に映る、コロナ禍でも絶え間ない京都いのちの電話の日々の活動について、私の思うところを書かせていただきます。コロナ禍、京都府においても自殺者が増加しています。私たちの活動の意義を再認識すると同時に悲しさを覚えます。

 

 それでも耳を澄ます

 いのちの電話の相談員は、こころざしをもって集結しています。そのこころざしとは、電話をかけてくる方のお役に立ちたいとの思いに他なりません。日常生活の中から時間と労力をやりくりして電話の前にたどり着きます。仕事ではない無償の活動、気を緩めればたやすく電話は遠のきます。コロナ禍においては、それぞれのご家庭の事情や電話の前にたどり着くまでのさまざまなリスクなどを考慮のうえ、その活動をお願いしました。電話の前に座るのか否か、いつもとは違う責任と判断が相談員に委ねられます。電話を受ける場所では、最大限の感染症対策を講じ安全に配慮し相談活動を絶やすことなく続けます。

 いのちの電話は途切れることなく鳴り続けます。相談員はそのことを誰よりも知っています。ゆえに、その電話を受け取り、耳を澄ますのです。

 

 そこにあるささやかな喜び

 私は想います。相談員は電話のベルを乳児の泣き声のように思っているのではないかと。それは、内容のある言葉を発しない乳児の泣き声に、どのような訴えがあるのかと、こころを使い想像を膨らませながら近づく母親との、私のイメージです。電話のベルが鳴り、その先にいるのはどんな方で、どんな様子で、どのようなお話の内容なのか、何もわからないところから耳を澄まし、こころを傾けます。実際にやり取りが始まると相談員それぞれのこころが動き、想像が膨らみ、その想像とやり取りする言葉と、かけてきた方の言葉と反応との交流が発生します。

 その交流の結果は、複雑です。その交流の結果、喜びを得るのですと、言えればよいのですが、そう簡単ではありません。それでも、相談員の人生経験を盾にお説教をするようなことでなければ、耳を澄ましてくれる相談員に触れることそのものが、実は十分に意味のあることであり、かけてくる方の助けになることなのです。その電話でつながっているその瞬間に、相談員が自分に関心を向けてくれていることは、私たちが考える以上にかけてくる方のこころを満たす要素を持っています。これを踏まえて、相談員はゆったり耳を傾け、気持ちに寄り添う姿勢を維持し、少しの沈黙のあと、かけてきた方の「それでは」などの言葉で地味に終わるような電話に、私は最も魅力を感じます。なぜなら、このような電話には、かけてくる方が自分のこころに向き合うことのできる少しばかりの空間が、相談員とのあいだにあったのではないかと思うからです。電話を切ったあと、かけてきた方が、自身のこころに目を向けるような余韻を相談員が感じるなら、おそらくそれはとても有意義な電話と、私は想像します。お礼の言葉に明示されないところにこそ、大きな意義があることにも目を向け、相談員とともにささやかな喜びを発見していくことも私の務めと思います。

 

分かちあうこころ

 コロナ禍、京都に緊急事態宣言発令中は、数名の集まりとなる認定相談員の毎月定例の研鑽は中止としました。この毎月定例の研鑽では、ひとりの研修委員を置き年間を通して同じメンバーで学びを深めます。このなかで、日々の相談活動の困難や気づきを分かち合うことがなされるのです。いのちの電話の相談員は相談員であることを公言できません。ですので、電話を取るその姿勢と傾聴技術の向上を図ることは、相談員同士に研修委員を加えた中で行われます。

 私の目に映る相談員の方たちは、この研鑽でのそれぞれの気づきを携えて、電話の前に座ることを真摯に繰り返してくださっています。その姿の軸に見えるのは、電話をかけてくる方の役に立ちたいとの思いにとどまらない向上心です。この向上心の存在が窺えるような方たちが、京都いのちの電話の相談員であるようです。

 そして、仲間同士で分かち合われたそのこころの延長線上に、電話をかけてくる方が加わる。それは一人ではないつながりの中に、電話をかけてくる方が加わるような、そんな意義ある電話に醸成されうる、つながりと分かち合いを私は大切に考えています。

 

私の感謝

 つながりと分かち合い成立の要素には、先に記した乳児の泣き声に歩み寄り想像を働かせる母親のこころとのイメージが再び私のこころに浮かびます。私は生業として心理相談業務を行っており、その質の向上に私自身いそしむ必要があることですが、実はこの乳児と母親の交流をモデルとする理論を背景に臨床をしています。なので、私は率直に相談員に想うところを伝えます。おそらくそれは私のこころを相談員の方々に受け止めてもらっていることであり、それが証拠に私は相談員の方たちに「私は想うことすべてをお伝えしますので、その中でどうぞ取捨選択をしてください」と、お願いします。

あらまぁ、それは大変です。そう、大変と思います。

 ボランティアだからこのくらい聞けたらいいのではないかとの妥協が、私には全くありません。そして私が学びをともにする相談員の方々にも妥協を感じません。次はもっと、今よりももっと、よい聴き手になろうとする静かな意気込みを感じます。真摯に学ぶその姿勢に私は感謝と敬意を覚え、励まされています。なぜなら、相談員の方々の相談員としての成長が、粛々とした中にも、きらびやかにあると感じるからです。

 

 とても忍耐を必要とする活動を自らの選択で行うことは、相談員自らのこころに向き合うことと同義であると私は思います。コロナ禍で私たちに課された多くの制限は、自らのこころに向き合うことの回避の邪魔、もしくは、その機会を与えたのでしょうか。ひとつの極に、制限されたことで逃げ場を失い絶たれた命もあることは辛い事実ですが、私たちのこころは、苦しみの中から何かを得ることができる側面を有しています。

 いのちの電話の相談活動が、苦しみの中にありながらも、ささやかな何かに気づくことにつながることを、私は願います。気づきを生む電話相談となるように、これからも相談員の方々とともに学びを深めていきたいと思います。

| 昨今の私 | 20:33 | comments(0) | -
京都いのちの電話ニュースレター

今夏、京都いのちの電話ニュースレター第117号の巻頭言

「コロナ禍といのちの電話」を依頼され寄稿しました。

11月12日に発行され、いつものように寄付を下さっている方や、

京都市内の主要駅や郵便局など延べ1200箇所超に送付されました。

今回は、追加で欲しいとの連絡が入り、すでに在庫が少なくなっているとのこと。

 

入稿から校了まで、2800字程度のものでしたが、とても貴重な経験となりました。

まずもって書けたことの安堵は計り知れず大きなものでしたが、

それに加え自分の書いた文章に感想を頂くことがこんなにも嬉しいのかと涙がでる程でした。

 

このニュースレターは年2回発行されるA3を二つ折り(A4が4面)にしたカラーの物です。

内側には「聴く・思う・考える」というコラムを毎回、

精神科医の北村隆人先生が寄稿してくださっています。

 

私は京都いのちの電話の研修委員であり、その立場から書かせていただきました。

毎年、2月と3月には公開研修会として大きなホールで講演会を開催している、

京都いのちの電話ですが、今年はその3月分を第45期電話相談員養成講座説明会として、

はじめの1時間ほど「いのちの電話の可能性と相談員のこころ」と題して、

講演をさせていただく役も仰せつかっています。

こちらの講演が先に決まり、その広報も兼ねてと巻頭言を依頼してくださいました。

ご依頼くださった事務局広報の方々や、相談員の方々のことを想い、

そしてひそかに精神分析のことを想い、書いたり話したりしていくことです。

 

いのちの電話に関連した本には、転移/逆転移という言葉が突然出た来たりします。

精神分析の知は、険しい実践の中でこそ息づくと感じる象徴的なことのように思います。

簡単ではない相談電話に素晴らしく耳を傾ける相談員の姿勢に、

それを生業にしている私が度肝を抜かれることが多々起こるのです。

その相談員のこころを専門用語は一つか二つの登場に留めて、お話できればと思っています。

私にとってもすべてが学びです。

気を引き締めて日々の臨床実践ともども最善を尽くしていくのみです。

 

今回は、当ルーム以外の活動について書かせていただきました。

お立ち寄り頂きありがとうございます。

朝晩の冷え込みと外出の機会の増加で風邪気味の方も増えてきているようです。

皆さまにおかれましてもどうぞお身体大切になさってください。

| 昨今の私 | 19:54 | comments(0) | -
てんとう虫

不要不急の外出は避けながら、それでも食品のお買い物は欠かせません。

 

「京都府産 朝掘りサニーレタス!!」

「わぁ、新鮮でおいしそう!!」

 

手に取るとレタスが巻かれた透明のフィルムとレタスの間に何やら動くものが・・・。

うん?・・てんとう虫!!

 

朝掘りだから逃げる間もなくレタスと一緒に巻かれて、

気がつけスーパーまで来てしまったのですね・・・。

割と大きなサイズのレタスに圧倒されていたのですが、てんとう虫を見つけて購入を決めます。

 

もごもご動いているてんとう虫を眺めながら足早に買い物を済ませようとする私ですが、

品出しをしている女性の店員さんに思わず声をかけます。

 

「ここにほら、てんとう虫がいます」

「あっ、すみません!取り出しましょうか!」

「いえいえ、いいんですこのまま買って帰って、外で放ちます」

 

どうして私は声をかけたのかなぁと考えると、

私はてんとう虫を助けてあげるねん!ということを聞いて欲しかったのだろうと思いました。

 

そういえば、研鑽の始まりの時期に私の助けたい願望の存在を指摘されたこともありましたが、

当の本人にはそこまでの意識は全くなく、全力でなすべきことを成すとの思いなのですが・・・。

 

・・・てんとう虫の姿が見えなくなりました。・・・

スーパーの中で逃げても踏まれるか見つかっても下手すると潰されるよ・・・

きっと中にもぐりこんだかな・・・

 

・・・流し台でフィルムを解いて下向きにゆすります。・・・・

 

ぽと。いた!! よかった〜! あっ、でもちょっと下の羽が出てるな・・・

ダメージを受けてるかも・・・

みどりの多い方向に出て手のひらの上で様子を見ます。

羽を動かして、下の羽がやはり動かしにくそうに何度か試しています。

それでも羽ばたきました。

風のせいか、ダメージのせいか、やや蛇行する飛行線でしたが・・・。

頑張れ! あ〜よかった〜〜!

と、しんそこ思い幸せな気持ちになりました。

 

待てよ?

こんなにうれしいということは、救いたい願望が私の中にあるなあ・・・((笑))

そんなことにもこころを動かすGWでもありました。

 

例年GWは学会での研鑽がらみの締め切りがあるので追い込まれていますが、

今年は学会入会以来初めてエントリーをせず、他の論文作成の準備に時間をかけました。

時間をかけて調べて準備をしていくことの学びをしていました。

アイデアを括るべし!

 

てんとう虫を放つほどの即時的な解放感とはちがうものですが、

準備を整える中でまとまって来るような新しい感覚を覚えています。

括られたアイデアは死ぬのではときっとこころのどこかでは危惧していた私のように思います。

確かにそのような側面は否めませんが、

それでもちゃんとその息継ぎは先達の教えが道をつけてくれ、

血の気が戻るかもと予感する今日この頃です。

効率よくではなく時間をかけることも必要なことですね。

しかし時間をかけれるということはとっても贅沢と思います。

とはいえ仕事の一環でもありますので、

切迫感と距離をとって時を豊かに彩ってゆきたいと思います。

 

てんとう虫の放つから、私の話に移行しました。

背中に張り付く不安が時々カイロのように温かく変化することもあります。

こころとは不思議なものです。

 

今回は営業色を弱めてつぶやいてみました。

お立ち寄り頂きありがとうございます。

皆さまもどうぞお身体大切に、安全を最優先に日々をお過ごしください。

 

| 昨今の私 | 13:46 | comments(0) | -
国立国会図書館関西館

先週の某日、国立国会図書館関西館に行ってきました。

はじめての利用です。

京都の南に位置していて、公共交通機関で行くと乗換が5回…。

車なら有料道路を利用して1時間弱で着くようです。

車を選択しました。

 

一帯は大きな建物がいくつもあり、ここ!と思って駐車場に車を止めて、

「あっ、ちがう」…偶然、隣に駐車されて下車された方に訊ねると、

何十回も聞かれてきているという空気感を放ちながら、

しかしその空気感を真摯的に抑えながら場所を教えてくださいました。

「そうか、わかった。感謝」車を少し走らせ、「これだ!」。

駐車場は・・・「あっ、これ?あっ、過ぎた。交差点を曲がったところからもはいれるかな?あった!」

 

「わぁ〜、大きな扉。どこが開く?開いた!」

「あれ?」・・・少し奥にある小さな扉が開き、にこやかに微笑み女性が私に合図します。

私は、まず消毒を済ませて、その女性に近づきます。

すると、小さな紙に分かりやすい道案内が書かれたものを示しながら、

利用者の入口を案内してくださいました。

ちゃんとした案内の書面が作成されているほどに間違い来訪者が多いことが窺えます。

にこやかに、それこそが仕事であるかのように対応してくださいました。

 

とにかく周囲の建物が大きく通りも大きいので、グル〜ッと回って数分を要してようやくたどり着きました。

乗換のない車を選択しましたが、結果、車でも何度か乗換えすることになりました。(笑)

 

館内は、とても静粛な空間でした。

利用目的ははっきりしていましたので、利用の仕方を教えてもらいながら、

同時に用事を済ませ、時短で目的を完了し帰路につきました。

 

「一度きりの利用者書もしくは、利用ごとに3年の有効期限のある利用者登録カード、

どちらにされますか?」「また来ることはあると思いますので3年のものでおねがいします」

苦手と思うことには誰しも物おじすることですが、

図書館にたどり着き、利用もできましたので(笑)物おじなしの歩みを進めたいと思います。

 

とにかく、周囲の建物が大きくて・・・・はい、わかりました。(笑)

 

少しずつ春の気配を感じますが、まだまだ朝晩は冷え込みますので、

どうぞ皆さまにおかれましてもお身体大切にご自愛くださいませ。

お立ち寄りいただきありがとうございます。

 

| 昨今の私 | 16:57 | comments(0) | -
立ち返るところ

風さわぐ秋の夕べは行船も

  いりえしずかに宿を定めて

 

何事も進んですることはいけません

心静かに諸事控えめにして是までの職業を守り

身を慎んで勉強なさい

其内に悪い運気去って幸福の時が来ます

 

学問 早めに目標を定め全力を尽くせ

 

運勢 末吉

・・・そう、おみくじです。

 

昨年の秋、黄金にそびえる銀杏の大木めがけて散歩し、

たどり着いた神社でのおみくじです。

その内容が何ともしっくりときたのです。

とはいえ、新年となり1月末に参拝し、

このおみくじは返納して新しいおみくじを授かりました。

 

それが、なんと、こんなことは人生で初めてのことですが、

同じ番号で同じおみくじが手元に届きました。え〜〜〜びっくり。

 

また下鴨神社の昨年のおみくじ

今年のおみくじも、番号は違いましたが、とにかく勉強を頑張れとの内容。

う〜〜〜〜む。すごい。

 

研鑽は、すればするほど大変になるようです。

足りないことが山のように見えてきます。

一生かかっても際限ないことに強引に枠をつけて表現することの難しさ。

書いてみると、表現したいことが表現できていないことにぶち当たる衝撃。

もうどうにかなってしまいそうですが、どうにかしないといけません。

(笑)こういうときは、ここまで書ければ笑えます。

 

アップさせていただき、自身を鼓舞しようとの魂胆が見えてきました。

私は本当に大真面目にあべこべで、

間違っているとかおかしいとかいうことではないのですが、大変です。

 

師をはじめ諸先生方にさまざまな形を通して助けて頂きながらです。

とはいえ、自らが歩みを進めないと何も始まりません。

乗り越えないといけないことは沢山あります。

乗り越えるも何もただその苦の中で日々を懸命に生きて来たことを思えば、

贅沢極まりない乗り越えるべく事柄といえます。

 

頭の中ではとてもいい内容の文章が通り過ぎます。

パソコンに向かうとそれが表現できません。

そうだ!と、お手頃なボイスレコーダーをAmazonから購入し、

思った時に吹き込んでいこう。

 

(笑)(笑)録音開始・・・「なんか録音されてると思うと緊張するな」・・・

そんなことでは意味ないじゃない!(笑)

まず録音になれましょう。

・・・少し慣れてきたこの頃です。

 

取り組みたいことに取り組み、取り組むことを止めれないなら取り組むべし!

宿を定めるなら、定めているなら、定めたいなら進むしかありません。

それは自分が決めるしかありません。

 

多くを選択できない人生から選択できる人生になった中での贅沢な苦です。

はい。

2月14日の師のセミナーが今年はオープンセミナーでなかったので拝聴出来ず残念でした。

来年度はオープンセミナーであればいいのになぁ。…ひとり言。

 

今日は冷え込んでいますが、皆さまも体調崩されませんようご自愛ください。

いつもお立ち寄り頂きありがとうございます。

 

 

 

 

 

| 昨今の私 | 16:39 | comments(0) | -
そうか…と気付く

そう、気付いたのです。

重い話ではありません。

重い話を軽やかに表現することでもありません。

これも、自身の表現に対して気付いたことではありますが。(笑)

 

先のアップで私が苦手なことに着手して、書類にパスワードが付けられたなど、

できたことに喜ぶ、と記載したところですが、その後に気づいたことです。

 

書面にパスワードをつける、一番簡単な方法は書類の保存の時にツールを押してもう一つ押して(笑)(忘れた)、パスワード入力したらそれで完了。

私は知らなかったので、分かるために調べることをして、そのようにすれば出来て、

私はその方法を知ることになりました。知ればもうそれは簡単なこと。

これって、つまりゼロ(知らない)か100(知っている)なんだと。

わぁーーーーって、思います。

 

(笑)(笑)大丈夫です。(笑)(笑)

そうか…、すごいと。

(笑)(笑)大丈夫です。(笑)(笑)

 

(笑)私は、考えることが好きです。厳密にいえば考えるともなく考えることが好きです。

考えるともなく考える態勢を維持することの中で「そうか…そういうことか」と、

言うのが私の生業における行為であるわけですが、これとは全く違う世界に私は気が付きました。(笑)(笑)

気が付いたことで、苦手と思う前にある抵抗が減じたように思います。

 

沢山のことを知っているということは、すごいことです。

誰にとっても至極分かりやすくすごいことです。

そうか…、そういう意味では、知っていくことを増やすこと、

私の場合は知っていることを増やすことの方になじみが薄いので、

こちらを増やすことも楽しみながらなら良いこと、楽しいことだなぁと思います。

 

私の生業は唯一無二の「そうか…」に二人でたどり着くというものなので、

「知っていること」は直接には何ら役に立ちません。

しかしながら近似値を知ることや、モデルを持つという意では大いに役立ちます。

それを当てにするのはむしろ害ですが。

 

また私は「時間」が大好きです。

何故好きかというと、苦があっても必ず時間がその状況に変化をもたらせてくれるからです。

この度、コロナウイルス感染症による自粛で上記とは違う時間の魅力を味わっています。

 

それは、時間に少し余裕があることで、切迫感のない中で何かに取り組む機会を得られたことです。これは、おぎゃーと生まれてからの私の人生にはなかったものと言え、貴重な時となっています。

漕ぎはじめの労力のいることへの着手には格好の時と言えます。

はい。

それでは、頑張りましょう。(笑)

 

お立ち寄り頂きありがとうございます。

地味に寒暖差があり油断すると体調を傾けてしまいそうですが、

皆さまにおかれましてもどうぞお身体大切におすごしくださいませ。

| 昨今の私 | 14:23 | comments(0) | -
研鑽の意義

始めにお詫びとお断り

お詫びは、2ヵ月もアップが叶わず、ご無沙汰して申し訳ありませんでした。

お断りは、硬いお題ですが、内容は緩い、とのことです。(笑)

 

毎年、5月・6月は忙しく、今年は開業のみ稼働ゆえ、そうでもないかと思いきや、

5月に関しては忙しいことになった次第です。

研鑽がらみでの多忙は充実感がありいいものでした。

 

少し前の朝の連ドラの話になりますが、

有名漫画家に弟子入りを指南された主人公の女の子が「漫画家になる!」と言い、

母親が「そんな競争の世界でやっていけるわけがない」と、娘をたしなめます。

それに対して「漫画の世界は競争の世界じゃない夢の世界や、私は夢の種を手に入れたんや」

と、主人公の女の子は答えます。

また、中村雅俊扮する祖父と父親が、娘が漫画家を目指すことについて話し合います。

賛成の祖父は言います「この年になるとなぁ、先が分かる。先が分からんと言うのは最高に贅沢な気がする。夢は見てるだけで贅沢や」

父親「かなわんでもか?」

祖父「おう、その時間がいい。夢見てる時間だけでももととれるな」というものです。

 

で?、と言われるとなんですが、印象に残りました。

何故印象に残ったか、

お題は「研鑽の意義」ですが、精神分析の研鑽を本格的にはじめ、

歩みを進めるに連れ、感じて来たことを改めて意識する機会になったからのようです。

つまり、研鑽は競争ではないということ。

もちろん、研鑽の意義は「臨床力の向上に尽きる」のは、

私を含む同業者の共通認識であることは言うまでもありません。

と、少なくとも私はそう思っています。

 

そして自分の足元を見れば、人生の折り返し地点はとおに過ぎ、

先が少し見えるようにもなってきています。

暗い話しではないです。(笑)

それでも、精神分析の学びには夢があると言いたいのです。

 

私は心理臨床家なので、精神分析理論は現場での一期一会に照らされます。

臨床を照らすことが、私にとっての研鑽の軸といえます。

あっ、ちょっと硬いか…。

 

これ!と思う、精神分析理論との出会いで、私の人生の歩みが、

少々先が見えていても(笑)夢あるものになり、

研鑽による気づきから臨床知が広がる、その喜びは計り知れません。

ここに夢があります。

幸せなことです。

この度も、肌寒い午前中、お気に入りのストールに身を包み、

幸せな研鑽に励みました。

よって、アップが叶いませんでした。

えっ、最終、言い訳。

はい。

こんなまとまりのあるような無いような、アップとなりましたが悪しからずです。

 

お立ち寄りいただき、ありがとうございます。

 

| 昨今の私 | 14:32 | comments(0) | trackbacks(0)
クロストリジウム菌とTレグさん

何? なに?

NHKの「人体」シリーズ、ご覧になっていた方は、きき覚えがおありかもしれません。

全7回シリーズで、タモリと山中伸弥教授が司会で、「人体」にまつわるミクロの世界、

現代科学の最先端が紹介されたものです。

 

非常におもしろかったです。

実際の細胞内の映像が高センサーや顕微鏡で捉えられ、私たちの身体の中で繰り広げられる営みが、感動をもって理解されました。

シリーズ全体を通して、身体の各臓器同士が脳とは関係なく「メッセージ物質」をやり取りしているということがテーマで、どの臓器がどのような働きをしているのかということが、取り上げられていきました。

 

第4集は、「腸」が取り上げられ、ここで扱われたのが、表題のお二方です。

かっこいいのです。(笑)はまっています。

まずは各臓器の中でも「腸」は別格、第二の脳と紹介され、神経細胞が脳に続き多く、人体の独立国家だそうです。

腸では、全身の免疫を司り、コントロールして送り出しているとのこと。

体内に入ってきた細菌をただ攻撃するのではなく、敵と味方をより分けたり、

「落ち着いて」とのメッセージ物質を出して、免疫の暴走を押さえるなど、攻撃役とブレーキ役をその巧妙なやり取りでコントロールしているというのです。

 

免疫の暴走とは、アレルギー(反応)ですが、腸という水戸黄門が、腸内細菌という助さん、免疫細胞という角さんを従えて、どう折り合っているのかという物語です。

シリーズ第7集、最終回に、ガン細胞が「攻撃を止めて」とメッセージを出すと、免疫がそれを聞き入れて攻撃を止めることがあると紹介され、それぞれの細胞が意志を持ってやり取りしていることなんだと、理解されました。

そうなると、是非とも我々の「腸」さんには賢く有ってもらわねばなりません。

 

免疫の過剰な暴走を抑えるとても賢い免疫細胞「Tレグ」さんが発見され、そのTレグさんを誕生させるのが、クロストリジウ菌なのだそうです。クロストリジウ菌といってもその種類は100種類もあるそうで、その中のひとつなのだとか。

そしてここからが大事なところですが、クロストリジウ菌が「落ち着いて」との物質を免疫細胞に届けて、Tレグさんを誕生させるにはその栄養となる「食物繊維」が必要なのだと。

クロストリジウ菌がないことで難病が発現しているとの仮説により治療が進められていることや、日本の若い修行僧のアレルギーが精進料理によって改善していることが紹介されます。

なんと、日本人のクロストリジウ菌は世界平均の4倍という数字が示されました。

なので長寿なのかもしれませんね。

ただ、現代の食生活が日本人の培ってきた体質の恩恵を崩し始めているかもとも言われます。

 

私事ですが、いままで身体に入れるものは良いものをとの意識は母親のお陰で強くあったものの、さすがにここまでの認識、意識はありませんでした。

これらの情報を機に、食生活を変えました。

朝食には玄米を、お昼は消化のよいもので、夕食は軽め。

いい感じです。

今の時期、食材も美味しく、毎日の食事が楽しみでなりません。

美味しいものは、美味しいですね。

そして体が喜んでいるのが分かります。

身体の中に何を送り込んであげるか、それは意識的に考えられること、その後はお任せです。

機嫌よく快調に働いてくれていること、

優秀な「Tレグ」さんに感謝です。

 

そうそう、腸さんには訓練場があり、わざわざ細菌を取り入れて、免疫細胞に細菌の色々を学習させることをしているそうです。

そうして学習した免疫細胞が全身に送り込まれるのですって。

一度、学習したいい形を、維持し、遂行していってくれる身体さんに、絶え間なく良い食材を提供していくこと続けたいと思います。

 

クロストリジウ菌さんとTレグさんに良くしていただいているお話でした。

| 昨今の私 | 17:42 | comments(0) | trackbacks(0)
CALENDAR
S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< March 2024 >>
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
LINKS